神癒技術者訓練(Divine Healing Technician Training [DHTT] )
1997年ミネソタ州ダルース市でのDHT(日本語訳)
By Curry Blake
John G. Lake Ministries
セッション1
これは神の癒しについての教えです。神のことばを学び、実行して、人々を自由にしたい人達の為のものです。この訓練の中では多くの情報を提供します。まず、このミニストリーを私達がどのように始めたかと、それがどのように私に任されたかの経緯を話していきたいと思います。1901年にチャールズ・パーハムによって始められた、ペンテコステ運動についての歴史についても少し話していきます。またレイク氏とその他のペンテコステ運動に関わった人達のことについて学ぶことができると思います。
それから、私達のいくつかの証も分かち合いたいと思います。テキサスにいる牧師でもある友人がよくこう言いました。「真理はあなたを自由にします。でも、始めにあなたを苛立たせます。」もし、この教えを聞いて苛苛してきても、少し我慢してください。その後、開放感を経験するでしょう。
では、祈って始めましょう:
「父よ、感謝します。主よ。あなたを祝福します。御名を祝福します。主よ。この日を感謝します。主よ。人々が集まったことに感謝します。彼らは聞く耳を持つあなたの人々です。父よ。私達は真理を求めます。私達は御霊に従い、神のことばに従います。父よ。私達は真理には妥協しません。主よ。私達は必要のない伝統と人の哲学を完全に捨てます。主よ。あなたのみことばを求めます。それはしいたげられている人々を自由にします。イエスの御名によって、父よ。感謝します。今、私達の集中力を欠かしたり、邪魔しようとするすべてのものよ、去れ。父よ。この機会を感謝します。イエスの御名によって、アーメン。」
もし、以前にも神癒技術者訓練に参加したことがあるなら、驚くことも無いと思います。以前との違いは、内容は同じですが、ただ話し方はより好戦的です。ある人には今回の訓練はあまり好まれないものかもしれません。私が気が付いたことは、私は好戦的になればなるほど、大胆になります。荒々しくなるのではなく、大胆です。荒々しくなるのは聖書的ではありません。でも、大胆になればなるほど、より好戦的になります。そして、より好戦的になればなるほど、より癒しは強く働きます。
私はイエスは戦士であることを理解しました。彼はいくじなしではありません。普通、すべての集団や組織はその中にいる過半数の性格を反映します。歴史を通して、教会の中の大半の人々は女性だったので、教会は女々しくなってしまいました。一般に私達が抱くイエスのイメージは、断食によってやせ細って、立っているのも難しいような、弱弱しいものになっています。イエスは羊飼いとして、子羊を抱いているようなものです。ユダヤ人達はイエスについて彼らのイメージを持っていましたが、実際のイエスは彼らが思っていてものとは違うものでした。彼らはイエスが戦士のようにしてやって来るというイメージを持っていましたが、イエスは初めは子羊として来られました。でも次にくる時は、戦士として来られます。
残念なことに多くの教会は子羊としてのイエスが再び戻ってくるのを待っています。でも、イエスは子羊としては戻って来ません。彼は鉄の杖を持って、戦士として支配するために戻って来ます。(黙示録19:11-15)聖書は私達は彼が現われた時には、彼に似た者になると言っています。(1ヨハネ3:2とエペソ4:15)なので、私達は戦士になります。単純ですね。癒しを勉強した人は、出エジプト記15:26で「神はいやす者である」と書いてあることを知っていると思います。でも彼らは同じ出エジプト記15:3で、「主はいくさびとである」と書いてあるのを知りません。ある聖書の訳ではこう訳されています。「主は戦う人です。」私達が理解しなければいけないことの一つはイエスのしたことは始めから終わりまで戦争でした。彼の行った癒しは戦いでした。それは神の国が暗闇の王国を攻めたものでした。私達が学んできたことは、私達は好戦的になればなるほど、戦士のようになります。そして、より癒しの結果が出ます。
皆、戦士と聞くと、ある一定の固定概念があると思います。伝えたい戦士のイメージを説明するために、少し私の経験をシェアしたいと思います。赤ちゃんがいる時には、私はいつもその子を抱っこして、その子と遊びます。ある集会で、一人の赤ちゃんがいました。その両親と話していて、その子とを抱いてもいいかと訊きました。彼らは、「いいですよ」言ったので、抱きましたが、その子を抱いている間にその子が寝てしまいました。そうこうしているうちに、説教をするために戻る時間になりました。そして、その子をどこかにおいて寝かせようとすると泣き出したので、私はその子を抱いたまま歩きながら、45分間の間教えました。その後に私は神と話しました。「どこまで、このように好戦的なスタイルで教えるべきでしょうか?どこまでそのような強い姿勢で教えることができますか?」私は普段は幻などを与えられる人ではありませんが、主は私に一瞬幻を見せてくれました。それは彼が私にどこまでそのスタイルを持って進んでほしいかについてでした。どのようにイエス・キリストの福音を宣べ伝えてほしいかについてでした。それはこのようなものでした。神が私に与えた戦士のイメージは、片手には剣を持ち、もう片方の腕では赤ん坊を抱きかかえているというものです。その戦士は赤ん坊を傷つけないで、片腕でうまく剣を振り回すことができなければいけません。戦場では緊張して、赤ん坊を容易に傷つけてしまいます。主は「バランスを保ちなさい。」そのバランスとは誰も傷つけないで、赤ん坊を抱きかかえることができるくらいに柔軟であり、それでもって剣を自由に振り回すことができるものです。」と私に言いました。それ以来、私はそのバランスを保とうと苦労してきました。私の話を聞いて、そのバランスを見ることができることを願います。
では、まず私達がどのようにしてミニストリーを始めたかについて話したいと思います。多くの人々が、私達がどのようにしてジョン・G・レイクミニストリーを知り、それを継いで今も行っているかを知りたがります。レイク氏についてはいろいろな議論がありますが、それは私達のミニストリーを気に入らない人がいるからです。
このミニストリーは1987年にウィルフォード・レイド、ジョン・レイク氏の娘の夫から渡されました。その当時に、彼と関わっていた多くの人々はミニストリーが私達に渡されたことを気に入りませんでした。そのうちの何人かはそれについて議論しようとしましたが、ミニストリーが私達に渡されたのはジョン・レイク氏が1934年に与えた預言に従ってのものでした。その預言はミニストリーを受け継いで、続けていく人についてでした。
もし私達の集会に来たことがある人やCDなどを聞いたことがある人は、私はジョンGレイクの油そそぎを主張しないことを知っていると思います。また私はレイク氏の油注ぎなどそのようなものは何も主張しません。彼らは私がレイク氏の油注ぎを持っている、と主張すると思っています。そんなものは持っていません。これで直接答えを聞いたと思います。私はレイク氏の油注ぎなど持っていません。
それらのものを主張しない理由は、私は大体それらのものをほしくないからです。それが第一の理由です。次に、私はレイク氏の油注ぎを主張しません。それは必要ないからです。私はイエス・キリストの油注ぎを持っています。(1ヨハネ2:27)彼の油注ぎは誰の油注ぎにも勝っています。
ある人々はレイク氏が住んでいた家を訪れます。彼の家は未だに残っていますが、それは何度も売られたり、買われたりしてきました。その家の中を歩いて、木の板などをこすって、レイク氏がそこにいた頃から残っている油注ぎを取ろうとする人達もいます。そんなのは馬鹿馬鹿しいことです。レイク氏の後にも他の人がその家に住みました。だから油そそぎがあったとしても、どのような油注ぎを得るか分からないでしょう。
私は油そそぎに焦点をおき、それを強調はすることはしません。責任を強調したいと思います。なすべきことをして、しいたげられている人達を自由にするための責任を強調します。何故かというと、もし私が行う癒しが特別な油そそぎによるものなら、あなたには私と同じことはできません。でも、私は信仰と神のことばによって癒しを行っているので、あなた達も同じ事をすることができます。今、私はこの説教壇の後ろに立って教える立場にいます。だから、それに応じた立場から教えますが、癒しを行うのはただ一人のイエスを信じる者として行います。教会に与えられた特別な立場からではありません。油注ぎはキリスト教の基礎的な事柄を実行するために与えられるものです。油注ぎは私達に果たすべき大きな責任を与えます(ヤコブ3:1)。それが分かれば、油注ぎについて軽率に主張することは減ると思います。何故なら、何でも主張することに対して私達は責任を問われるからです。何よりも、ただ聖書のみことばを実行する方が大切です。
私にとって祝福だったことは、数年間レスター・サムラル氏のもとで学べたことです。サムラル氏はりんごの木がりんごの木であると知るためには、名札や肩書きは要らないと言いました。じゃあどのようにしてりんごの木が、りんごの木であることを知ることができるのでしょうか?その木の実らせる実を見れば一目瞭然でしょう。
多くの人々は肩書きを付けて歩きます。ダラスにいる時に、友人がやって来て、言いました。「カリー、私と一緒に来てください。大きな預言の集会が開かれます。一緒に行きましょう。」私は彼の誘いに同意して、ハイキングシューズとジーンズをはいて、セーターを着て、その集会に行きました。人々に好印象を与えるためのドレスアップはしませんでした。その大きな集会には私の車よりも高価なスーツを着ている人達がいました。彼らの胸には「預言者誰々、使徒誰々」というような肩書きがありました。ある人が私に近づいてきて、握手して言いました。「私は預言者誰々です。あなたの名前は何ですか?」私は彼の顔を見て言いました。「もしあなたが本当に預言者なら私の名前を当てることができるでしょう。」私の友人はそれを気に入らなかったようです。彼がこう言ったのを覚えています。「カリー、お前とは何処にも行けないよ。」
私が興味があるのは肩書きよりも、実力です。誰でも名札をつけることはできます。でも、神の御霊は実を実らせます。私達はよく教会でもてはやされる油注ぎについては細かく教えません。油そそぎと呼ばれるものを、私は責任と呼びます。そのように単純なものです。私は通常は誰かに手を置いて何かを分け与えるようなことはしません。何故かというと、私は、もうすでにあなた達が持っているものを与えることはできないからです。これから私のしようとすることはすべてイエスを信じるあなた達がすでに持っているものが何であるかを見せることです。油注ぎを売ろうとする人も沢山います。私はそんなことはしません。ある人は、なんで私がこんなことを始めから話しているのか、と疑問に思うかもしれません。それは、時間を無駄にしてほしくないからです。もし、私の話していることを好きになれないなら、無理にこの訓練を受ける必要はありません。
私は神のみことばを求め、それを実行し、捕らわれている人を自由にする人を捜しています。新しい組織や、プログラムには興味はありません。どれだけ私達はさまざまな事柄のために気が散らされたり、横にそれたりしてしまっている事でしょうか。実際そんなものは全く重要ではないのです。それらのものはすべて、結局は、私達を高ぶらせて、自分は誰か特別でもないのに、特別な人のように思わせたり、語らせたりします。聖書ははっきりと言っています。賜物を持っていると言って誇っていても、それを実際に持っていない人は雨を降らさない、雲や風のようだと言っています。(ユダ12)言いかえると、誰でも舞台に立って、うまい話をして、聴衆の反響を起こすことはできます。でも実際には雨だけが命を生むことができるということです。
誰でも口先だけの人にはなれますが、その人は本当に実をならせることはできますか?それが重要なことです。レイク氏はよく神の人は自分の意志によって、いつでも、どこでも、神の御霊の力を現すことができるべきだと言いました。それについては多くの人が議論します。多くの人は座って、神がやって来て働くのを待とうとします。私はよく人々が「私は神が現われるまで、座って、待ちます」と言うのを聞きます。そんな人に知らせがあります。神は彼らが待つ前から、彼らのうちにいます。彼らが生まれる前から、ここにいるし、地上を去った後にも、ここにいます。
イエスは癒しを行う上での失敗の理由は2つしかないと言いました。一つ目は不信仰です。(マタイ17:14-21,マルコ9:17-27)もう一つは人による言い伝えです。(マタイ15:6、マルコ7:13)多くの人が何故私は癒しを受取ることができないのかと考えます。答えは簡単です。癒しの障害があるのは、私達自身が癒しには障害があると信じているからです。私達は人生の中で罪があっても、癒されます。それは私は経験済みです。又、私達が罪を犯していても、他の人を癒すこともできます。
よく、どのような癒しの方法が一番良いかと質問されます。私の答えは、あなたが信じる方法が一番いい、です。私は以前は油注ぎについて勉強していました。それは他の人々が油注ぎにとても重点を置いているのを聞いていたからです。彼らはよく言いました。「私はそのために油を注がれていない。その分野の油注ぎは私にはありません。」教会の中では、召しとか、奉仕とかを意味不明な決まり文句にしてしまっています。今流行の決まり文句が油そそぎです。
私がサムラル氏と一緒にいる時に、スミス・ウィグルワースについてのいくつかの話を聞きました。そのうちのいくつかの話の中で、彼は病人を癒す為に病人にパンチを食らわせました。時には彼は人々を蹴りました。彼は一度赤ん坊を講壇から蹴り落としました。人々がその子を受け止めた時には、その子は癒されていました。もし赤ちゃんを蹴るなら、地面につくまでに癒されるべきです。だから赤ん坊を傷つけることは決してしないでください。こういう話を聞いて多くの人はこう考えます。「彼の油注ぎは特別なものでした。」いいえ、違います。それらは彼が信仰を持っていた癒しの方法でした。ある人は、「じゃあ、どのようにして彼みたいに、そんな暴力的な方法に信仰を持てるんですか?」と訊きます。それは彼が若い頃に、盲腸炎を患っていました。そして、ある女性と男性が彼のために祈りに来ました。彼らが祈っている間に、突然、その男性はウィグルワースの腹を、盲腸のあるところを殴りました。そうしたら、彼は瞬間的に癒されました。それ以来、腹の病気や問題がある場合には彼はおなかを殴りました。そして病人は癒されました。
それは油注ぎではありません。神は腹にパンチするようにウィグルワースの耳元でささやきはしませんでした。それは彼が信仰を持っていた方法でした。彼がパンチした時に、彼は信仰を働かせて、力が解放され、人々は癒されました。もし他の人もそのような信仰を持っているならすばらしいことです。もし持っていないのに、私を殴るなら、私は癒されるべきです。でないと、私は殴り返します(笑)。スミス・ウィグルワースの例は私達の思考、つまり、考え方の重要性について教えてくれます。このことについては後でもっと詳しく話していきたいと思います。
セッションを教えていくにつれて、私の人柄についてもっと分かってくると思います。私がこのように好戦的な理由は、今まで多くの人々が死んでいくのを見てきたからです。多くの病人を見てきました。私自身の人生でもそうでした。私達は娘を癒してもらうためにいろいろな人々のところへ行きました。そのことについては後でもう少し詳しく話します。私には娘がいましたが、娘は3歳になる前に亡くなりました。
その当時は、私は世界でもトップクラスの人々から信仰を学んでいました。彼らは信仰や癒しを教えていましたが、そのうちの誰とも電話で話すことはできませんでした。彼らは忙しすぎたのか、重要な人すぎたのか、私は彼らに会うためのお金を払うこともできなかったし。とにかく誰にも会うことはできませんでした。
彼女は亡くなり、次の日に彼女を埋葬しました。私は信仰を教えられたし、癒しも教えられました。私はその当時のベストな人から学びましたが、十分ではありませんでした。多少の成功や進歩はありましたが、足りませんでした。その時以来、私はより深く学び出して、捜し始めました。
私は武術の経験があります。でももう武術家ではありません。神は私をそれから解放してくれました。武術家であった時に私が持っていた悪霊どもから解放してくれました。あなたの持っている悪霊は追い出すことはできます。でも、武術はしないでください。クリスチャンは武術とは何の関わりもあるべきではありません。私達は左の頬も向けるべきです。それは左フックを食らわせるということではありません(笑)。私は武術の経験も経歴もあるのでこう言うのです。
私はいつも何か得意になりたいものを見つけたら、その分野で秀でている人達を見つけて彼らの下で学んできました。私が蹴りを学びたい時には、ビルウォラスという人のところに行って学びました。彼は時速112Km の速さで蹴ることができました。彼はどのように蹴るかを教えてくれました。私が腕をどのように使うかを学びたい時には世界最速で拳を繰り出すことのできる人のところへ行って学びました。なので、私は何でもベストな人を見つけて彼らから学んだ経歴があります。
癒しについても学び出した時には、私はその当時のベストな人達を勉強しました。でも、それでもだめだった時には、もっと深く勉強し始めました。そして、スミス・ウィグルワースやレイク氏のような人々を見つけました。スミス・ウィグルワースは興味深い人でした。何故なら、彼には奇蹟や超自然的な現れなどがあったからです。でも、彼は決して自分と同じような弟子を生み出すことはしませんでした。
癒しを学ぶにつれて、何についてでも一番良く知っている人は、自分自身と同じような人を訓練して、輩出できる人だと気がつきました。なので、レイク氏について勉強し始めました。私は彼について見つけ出せることは何でもしました。終に、彼には娘と娘の夫がまだ生きていることがわかりました。それがウィルフォードとガートルード・レイドです。実際彼らはある程度はミニストリーを続けていました。私は電話をかけ始めて、終に彼らを見つけました。
それから7年間の間、彼らとコンタクトを取り続けました。その7年間、毎週月曜日に電話をかけ続けました。私はテキサス州のダラスに住んでいて、彼らはワシントン州のケナワックに住んでいました。私は毎回質問のリストを作って電話をかけました。私は質問をして、彼はできるだけ質問に答えてくれました。それから、次回までに一週間かけて、それらの答えが聖書に沿っているかを調べました。週末までには、新しい質問のリストができあがっていました。そして、次の月曜日には新しく質問していました。
このように7年間電話し続けました。毎月の電話料は4万円分にもなりました。私の妻はそれを気に入りませんでした。私は彼女に言いました。「いつの日にか、これは報いられるよ。なぜならいつの日か私は病人に手を置いて、そして、彼らは癒されるようになる。」「そのためにはこれは価値があることなんだよ」
私達がそのようにして、勉強するにつれて、彼はレイク氏の下で訓練された人々の名前のリストをくれました。彼らすべてを捜しましたが、多くの人は亡くなっていました。それでも、まだ生きている人達も多くいました。私は彼ら全員にコンタクトを取り、ビデオや、レコーダーや電話を使って彼らにインタビューをしました。
レイクの娘である、ガートルードは1986年の11月に亡くなりました。私はウィルフォードももう長くは生きないことも知っていました。彼は妻を恋い慕っていたからです。1987年の6月までに彼は亡くなりました。1986年の11月から1987年6月の間に彼はすべてのものを私に託しました。
彼は先ず最初に私の証を尋ねました。不思議に思いましたが、私に起こったことを彼に話しました。私は1959年の4月に生まれて、1960年の9月に車に引かれました。父は私を見ないまま、車でバックしながら私を引いてしまいました。私の右耳は剥げ落ちてしまいました。その傷を今でも見ることはできます。その事故で、私の左耳の周りの頭皮は完全に剥げ落ちました。顔の前の頭皮はまるでマスクのようにめくれました。未だに傷は残っています。頭の剥げたところは、プラスチィックのように感じます。手術は6時間かかって、合計172針縫いました。私の頭はバスケットボールのように張れ上りました。
父は私を引いた後に、私が車の下で、倒れているのを見つけました。私は動いていなかったので、彼は私が死んだと思いました。私は死んだ状態だったのかは正直覚えていません。何か見たとかそういうことは何も覚えていません。どちらにしろ、生後17ヶ月だったので何も覚えてないでしょう。彼は家族集会の最中である家の中に走っていって、叫びました。「私達の子を殺してしまった!私達の息子を殺してしまった!」家族全員が駆け出してきました。私の祖父は私と私の耳を抱えてトラックに載せて、病院へ行きました。すでに言ったように、手術は6時間と172針かかりました。
彼らが手術を行っている間に、医師は度々出てきて、報告しました。初めに彼が出てきたときには、言いました。「望みはありません。彼は亡くなるでしょう。手の施しようがありません。彼を埋葬するための心の準備をしてください。」私の母は祈り始め、神に言いました。「彼はあなたの子です。私達は彼をあなたにささげます。もし彼を生かしてくれるなら、彼をあなたのために育てます。」それから、1時間半程経って、医師は出てきて言いました。「実は、彼は生きることができそうです。でも、脳への損傷がひどいので、一生植物状態になるでしょう。望みはありません。」彼が手術に戻っていき、母は祈って言いました。「神様、これではまだ十分ではありません。もし彼を生かすのなら、普通にしてください。」(実際は、私が本当に普通であるかを議論する人もいますが、彼らの子供達が病気になった時には、私を呼ぶので、いいとしときましょう。(笑)それから、彼は又戻って手術を続けました。
また1時間半して、医師はまた帰ってきて、言いました。私は手術中も意識を失わなかったので、それはいい兆候でした。でも、私は普通に生きることができたとしても、右耳は聞こえないし、髪の毛も生えてこないだろうと言いました。でも、その両方とも外れました。
その当時、私の両親はとても若く、私をすぐに学校には送りたがりませんでした。彼女は読むことをキングジェームズ訳の聖書を使って私に教えました。何年もの間、父は夜に働きました。彼は警察官でした。彼女は寝る前に私に本を読まないで、逆に、彼女が寝るまで、私が聖書を読むようにさせました。母はそのようにして私に読むことを教えてくれました。私は冗談でよく言います。「私は7,8歳になってやっと、聖書で使われていた汝という単語が普段使われないことに気が付きました。(笑)」なので、子供の頃から、神は私のうちにみことばを蓄えていました。それによって、今では、時には、自分では記憶したことも覚えていない聖書箇所を思い出すことができます。それは目的を持ってなされたことでした。
私が車に引かれた日付は1960年の9月16日でした。私がウィルフォードにその証を話したとき、それが何日かは覚えていませんでした。私の覚えていることは、私は生後17ヶ月だったことです。なのでそれは9月のことでした。彼はそれが何日だったのか訊きました。私は言いました。「わかりません。」彼はその日にちを確かめるように言いました。私はそんなこと誰も気にしないのにと思いました。ただその事故が起こったことは、医者の証明書からも明らかでした。証拠もあります。
私の母は未だに、私の血のついた包帯を持っています。彼女は母親なので、なんでも取って置くのです。もし私の母に頼むと、それらをすべて写真と一緒に見せてくれます。母にその事故の日は何日だったかを聞くと、それは9月16日でした。
それを聞いて、ウィルフォードは言いました。「そうだと思いました。」私は思いました。「そうだと思いました?どういう意味だろう?」。彼は言いました。「レイク氏は1934年の5月24日にある預言をしました。」その預言はこのようなものでした。彼の亡くなる日から25年後にサタンはそのミニストリーを受け継ぐ人のいのちを奪おうとする、というものでした。
まず、その預言の始めは、それを受け継ぐ人は国の成長が止る年に生まれるというものでした。この国の人口はまだ増えています。なので、それは人口以外のことです。最後の州がアメリカ合衆国連邦に加盟したのは私の生まれた1959年でした。
彼はレイク氏の死から、25年後にサタンはその人のいのちを奪おうとすると預言しました。レイク氏は1935年の9月16日に亡くなりました。それから、25年後の1960年の9月16日にサタンは私のいのちを奪おうとしました。それらはすべて一致していました。ウィルフォードは言いました。「私達はあなたがその預言された人だと信じます。」私は彼の書いた手紙などを持っていますが、それにはこう書いてあります。「私達にコンタクトしてきたすべての人達中で、あなただけがどのようにミニストリーをするかについて訊きました。他の人達はどのようにしてレイク氏の油注ぎを得ることができるのかを訊きましたが、あなたはミニストリーの本質を求めました。」彼は他にもレイク氏が言ったことも検証して、私がその預言で示された人であることを確信しました。それがレイク氏のミニストリーが私達に渡された経緯です。
ウィルフォードは私達にたくさんのレイク氏の持っていた手紙、文書、写真、日記、などをくれました。それらのうちいくつかを私達は初めて公に公開し始めました。彼がレイク氏に訓練を受けた人達のリストをくれた時に、それらのものをくれました。私は彼らにインタビューをしました。
1987年から1995年までの間、私は主に言いました。「私がレイク氏と同じ力と効果でミニストリーを行うことができるようになるまで、ミニストリーは始めません、それでないとミニストリーも絶えてしまいます。もし私が彼と同じ結果を出すことができないならミニストリーを続けません。何故なら、私はミニストリーを通して誰かの記念碑を建てて、レイク氏と同じような人生を歩もうとすることや、彼の過去の経験を通して生きたくはないからです。私の人生を通して神の御霊を働かせてください、私達はレイク氏と同じ結果を出す必要があります。そうでなければ、このミニストリーもすぐに衰えてしまいます。」
1995年に、ポーラインパーハムに会うために、テキサス州のヒューストンの郊外にあるアルビンという町に行きました。彼女のしゅうとはチャールズ・パーハムでした。彼について聞いたことのない人のために言いますが、彼は1901年にペンテコステ運動を始めました。私達は彼女の説教を聞きに行きました。彼女は小柄な女性でした。
それから、ヒューストンにも行きました。そこにはウィルフォードがくれたリストに載っている何人かの人々が住んでいたからです。彼らは実際に1927年にレイク氏とテキサスまで旅をしました。それに彼らは訓練を受けた神癒技術者達でした。
私達を知っている人々はレイク氏のミニストリーについてもよく知っています。彼は1914年から1920年までワシントン州のスポーケンにいました。1920年から1925年にはオレゴン州のポートランドに住んでいました。
神の御霊はどこでも、いつでも、どのような状況下でも働きます。御霊が働く為にわざわざふさわしい状況を準備する必要などありません。もし御霊がそのようなものなら、別の新しい神が必要でしょう。私のうちにいる御霊は嵐の中でも、混乱の中でも、すべてが悪い方向に向かっている中でも働きます。神の御霊が働く為に毎回何か適切な条件は必要はありません。もし病人が目の前にいるなら、彼は働きます。何故なら、神は彼らのことを気遣っているからです。
私達がまだスポーケンにいる間に、私は他の女性とも話しました。彼女はグループホームに入っていました。彼女は1995年の時点で90歳くらいでした。彼女は神癒技術者の息子と結婚していました。レイク氏がスポーケンとポートランドにいる時に、彼は祈り始めました。次々と癒しの結果が出てきて、人々が祈ってもらうために押し寄せてきたので、彼は病人の癒しのために祈る人々を訓練する必要がありました。彼は「神の癒しのしるし」というタイトルの教えで彼らを訓練しました。それは単純に聖書に戻って、みことばのとおりを実行するだけのことでした。
合計16人の男女が訓練を受けて、人々のために祈り始めました。スポーケンに5年間いる間に、彼らは10万の証拠つきの癒しを行いました。それは彼らは2万の癒しを毎年平均で見ていたことになります。それはそれらの16人の人々の間で行われました。この女性はその16人のうちの一人の息子と結婚しました。
1925年にレイク氏がポートランドを去って、西海岸に行きました。そしてサクラメントとサンディエゴでヒーリングルームを始めました。彼が西海岸から横断してきた時には、彼はテキサスのヒューストンにとどまりました。ヒューストンでは彼の最初の礼拝には1000人以上の人が出席しました。彼はそこで小さな教会を始めました。そのうち800人の人々は病気でした。彼は言いました。「もしあなたが私と30日間過ごすなら、癒されます。」彼はポートランドでもスポーケンでも言ったと同じ事を言いました。もし、彼らが30日後にも目に見えてよくならないなら、そのような人には5万円をあげると約束しました。:考えてみてください。私達は普通周りの状況は癒しのために整っていなければいけないと考えます。彼は、自分が癒されようとしている人達もいましたが、言いました。「もしあなたが癒されないように努力して、癒されなかったら、5万円あげます」。これだけ彼は癒しに確信を持っていました。彼はそこにいる間に、多くの癒しを行いました。詳しくは、後で話していきます。
彼の息子は1927年にスポーケンで事故にあいました。彼は列車でそこに向かいました。その事故で精神錯乱した女性がいたので、人々は彼に祈ってもらうように頼みました。彼女は1920年に彼の教会の一員でした。彼はそれから旅をし続けて、1931年にはスポーケンに定住しました。
彼がオレゴンからがヒューストンに下って行った時には、彼は一人の若者と旅をしていました。彼はその若者にその教会を任せました。その若者はオレゴンに戻り、フリーダという女性と結婚しました。その若者の名前はゴードン・リンゼイです。その後、彼はChrist for the Nationsを創設してダラスに戻りました。
レイク氏がダラスにいた記録もあります。F.F. ボズワースもダラスに住んでいました。私はペンテコステの歴史が好きです。いろいろな人達の軌跡のつながりを見ることができるからです。歴史を見て、誰が誰と一緒にいて、共に働いていたかを知ると驚かされます。鉄は鉄を研ぎます。(箴言27:17)鈍い人々の周りにはいないでください、鈍くなります。
あなたの周りにはいろいろな人々がいると思います。でも、選択できるのなら、あなたを研ぎ澄ますことができる人々の周りにいて、行動を共にするようにしてください。彼らと共にいることが心地よくないかもしれませんが、彼らはあなたを研ぎ澄ますことができます。あなたを弱くする者ではなく、あなたの成長を手助けする人と一緒にいてください。あなたを弱くするような人を助けることはしても、彼らと一緒に行動することはしないでください。もし彼らがやって来たら、何か本を渡してください。例えば、「元気ですか?」と訊いて、もし「あまりよくないです…。」と言うなら、そこで話を遮って「これを読んでください。」と言って、その本を渡してください。そして、その時は別れてください。次にその人に会うときにも、訊いてあげてください。「元気ですか?」もしその人が、「まだ、あまりよくないです…。」と言うのなら、話を遮り別の本を手渡して、「ここに別の本があります。読んでください。」と言って別れてください。そして、最終的に、「元気ですか?」と訊いた時に、相手が、「最近は、神様が…」と言いだすなら、その人と一緒に話して、交わって、行動してください。こうして、あなたを鋭くする人と交わってください。何故なら、私達はいつも行動を共にする人々のレベルまで下がるか、上がるかのどちらかです。
正直に言います。もし私達が神とより深く歩もうとするならば、おそらく私達は多くの時間を一人で歩むことになります。ひとりで歩むことを恐れないでください。それは教会に対して反抗する人であるということではありません。でも、周りの人々は私達のことをそのように言っても驚かないでください。間違ったことに対して反対することはよいことです。言いますが、教会は革命に向かっています。これは革命への。宗教から真理への革命です。宗教が好きな人は、居心地の良さや現状維持を好みます。しかし、イエスは決して現状維持者ではなく、革命家でした。彼は騒動を起こし、さまざまな事を引き起こしました。そして宗教家達は彼を好みませんでした。そして、彼らはイエスを殺しました。もし彼らがイエスにしたのなら、私達にも同じ事をするでしょう。もしあなたが迫害を受けていないなら、用心してください。聖書には、「みなの人がほめるときあなた方は哀れです。」と書いてあります。(ルカ6:26)もし誰もがあなた達のことについてとてもいい評判を言っているなら、神の技をしていないかもしれません。私は愚かな行動をするように言っているのではありません。私達は家賃を払う必要はあるし、いい評判を持つ必要もあります。でも、私達を好かない人達は宗教的な人達であるべきです。イエスのように、宗教的な人々に対しては厳しくあるべきです。
ある時、私はアイダホ州のチャリスにいました。他の著名な人々と奉仕していました。クリス・ヴォラトンやデイビッド・ホーガンなどです。私は初日から皆に言っていました。「今自分の立っている場所を見て、さよならを言ってください、何故かというと、これから数日間の間に、言おうとしていることは多分あなた方を怒らせると思います、でも言うつもりです。」
私達はいつもこのように仕事を行います。私達の仕事は単純です。人が作り上げてきた言い伝えを打ち壊します。仕事を終えるときには、残ったものを神のことばだけにします。神のことばは力があります。もし私が何かについて話し出しても、すぐに「アーメン」と言わないでください。その後に、その教えを潰すつもりかもしれないからです。それが人の言い伝え(伝統的宗教の教え)だからです。なので、私が何かについて話し出しても、黙って聞いていてください。もし、静かでいれば、誰も間違っていることを信じているとはわかりません。あなた達がする必要があることは変わることだけです。ジョンオースティンはよく言いました。「もし猫をなでて、猫がそのなで方を気に入らなかったら、その猫にそのままその場を去らせましょう。私は何も変わる気はないからです。」私もそんな気持ちです。
数年後に私はパーハム氏に会いに行き、彼女と話し始めました。その当時、彼女は90歳でした。そして、私は他のすべての人達にも質問したのと同じ質問をしました。もし、同じ質問をたくさんの人達にして、数人から同じ答えがでてくれば、それが真理であることが分かります。私はそれらのすべての質問をしましたが、彼女が質問に答えるのにめんどくさくなるまでに時間はかかりませんでした。
彼女が私の質問にいらいらしているのを見てとることができました。彼女は終に言いました。「あなたの質問はマニュアルがあればすべて答えられますよ。」私は言いました。「そう、ですけど、何処でそのマニュアルは手に入れることができるんですか?」彼女は言いました。「私は一つ持っています。」私は言いました。「本当ですか?読んでもいいですか?」彼女は言いました。「見てもいいし、読んでもいいですけど、私が死ぬまで、あなたにはあげません。」彼女は私とウィルフォードとガートルードとの関係のことを知っていました。私は言いました。「分かりました。」なので私はそのマニュアルを読んでメモを取らなければいけませんでした。彼女は1997年に亡くなるまでは、それを手放すことはしませんでした。そして、私達はマニュアルを手に入れました。
私はさまざまなことを勉強してきました。信じてください。恐らく、私の個人的な図書館ほど多い本のコレクションを見たことがある人はほとんどいないと思います。私の息子にきいてください、彼はそれを引越しのために動かすのをたくさん手伝ってくれました。私は癒しについての本はほとんどなんでも持っています。そのうちの98パーセントは使い物にならないゴミです。それでも、それらを持っているのは、他の人たちの意見や考えを知りたいからです。それらを読みながら、その本で彼らの言っていることをすべて行いました。それでも私の癒しの成功率は、15~25パーセントでした。大抵の教会の平均10パーセントと比べればよいほうですが。10人に1人は癒される程度です。なので、私はこれらの本を読んで、それに書いてあるすべてのことを行っていました。
私には血管腫を持って1978年に生まれた娘がいました。血管腫とはたくさんの大きな血管から成る塊です。その腫瘍は私の拳の大きさでした。普通でなかったことは、今日に至るまででも、彼女はだけが唯一舌に血管腫を持って生まれてきた子でした。その腫瘍はまるで蛇の入った袋のようでした。血管が中に透けて見え、それらの血管は心臓の鼓動に反応して、震えました。それは深い紫色でした。彼女が生まれたときには私達は驚きました。何の警告もありませんでした。彼女が生まれる前にはそれは彼女の舌にはありませんでした。本当です。医師達は音響スペクトグラムをしましたが、何も見つかりませんでした。彼女が生まれるまではすべてが完璧でした。しかし彼女が生まれた瞬間、それはそこにありました。
彼女が生まれた時には、彼女の舌は口から飛び出していました。彼女は舌を口の中に戻すことはできませんでした。それは見るにもひどいものでした。彼女は私達の娘だったので、もちろん愛していました。それでも、一般の人には、とてもひどいものでした。私の妻の祖母は、彼女の舌を隠すことのできる留め具のついた小さな帽子を作りました。それは彼女を公共の場でも、人々がじろじろ見ないためです。それでも人々は彼女に眼をやりました。私達がモールを彼女を連れて歩いている時には、彼女はその帽子を取る時がありました。その時には人々が反応するので、わかりました。正直言うと、人々は時にはとても残酷になります。
私達はいつも彼女の舌を潤していなければいけませんでした。何故なら、もし舌が乾くと、それが割れて、出血するからです。医師は彼女は病院を離れて5分も生きることはできないと言いました。それは一度出血したら、すべての血液を失ってしまうからです。その当時、私達は田舎に住んでいました。何度も、彼女が成長するにつれて、歯は生えないだろうと思いましたが、歯は生えました。その歯は舌を切ってしまい、彼女は出血死してしまいそうになることがよくありました。
何度も私達が朝起きた時には、彼女の部屋が血に染まっていました。それは歯が舌を切ってしまい、血を吐き出していたからです。私はあれだけ出血してまだ生きている人を見たことがありません。本当に。彼女を掴んで、タオルか何かを彼女の舌に当てて、病院へ向かいました。その間ずっと、異言で祈りました。病院に着く前に、まだ傷のようなものは残っていましたが、血は止り、癒されていました。3回ほどこのようなことがありました。実際に、腫瘍は小さくなっていましたが、決してそれを取り除くことはできませんでした。
2歳3ヶ月になった途端に彼女は両方の肺の肺炎を発症しました。その晩医師を呼んで、何が起きているのか訊きました。彼は言いました。「心配しなくてもいいでしょう。恐らく、舌を噛んでいるのでしょう。熱を下げるために、温度を低くしてあげてください。そうすればよくなるでしょう。明日の朝に、病院まで連れてきてください。」でも、次の日の朝に娘は亡くなりました。
私はすべての著名なミニストリーに電話しました。多くの人が知っているはずの癒しで有名なミニストリーです。彼女が亡くなったのは1981年でした。その当時には今のような(有名な)癒しのミニストリーはありませんでした。私はそれらのすべてに電話しましたが、誰とも話すことさえできませんでした。
彼女は1981年の2月13日に亡くなりました。私達は次の日に彼女を埋葬しました。彼女をすぐ埋葬した理由は、医師達はその腫瘍がどんな影響を及ぼすか分からなかったからです。その次の日、バレンタインデーに彼女のテキサス州のマッキニーに埋めました。それはダラスの北にあります。その時私は墓の前に立って、彼女の小さな白い棺おけが埋められるのを見ながら、神に誓いを立てました。私は言いました。「神よ。私が必要とした時には、助けてくれる人は誰もいませんでした。でも、もしあなたが私に教えてくれるなら、私は他の人たちのために、そのように助けることができる人になります。」その日以来、私は癒しをさらに学び求め始めました。
私が1997年にパーハム氏からマニュアルを手に入れたとき、それを勉強し始めました。私は驚かされました。それは私が今まで学んできたことを全く打ち壊しました。すべてをです。私がその当時の癒しのベストの人々から学んできたことを覚えていますか?私は彼らが癒しのために教えていた条件はすべて間違っていることに気が付きました。それについてのすべてが間違っていました。癒しが行われる方法も間違っていたし、癒しのための前提も間違っていました。その時に、私は今まで学んできたことをすべて捨てて、また一から癒しを学び直す決心をしました。
レイク氏のマニュアルを勉強して、先ず最初に、直ちに私が変えたことは、祈り方でした。神に向かって、癒してくれるように話すことを辞めて、病気やわずらいに向かって私達のしてほしいことを命令するようにしました。聖書には、特に、新約聖書にはどこにも癒しのために神に向かって話している例はありません。一つもないのです。
この神癒技術者訓練の教えから私達には大きな責任があることを学ぶと思います。聖書によると私達は霊的領域において警察と兵士の合体したような者であるべきことを理解できると思います。教会は過去には、警察の役割については考えてきました。私達の仕事は神の警察として人々が神に対して行っている犯罪を告げることだと考えてきました。これはある程度は正しいことです。人々は罪が何であるか、どのように罪から自由になることができるかを知る必要があります。でも、それ以上に神に対しての犯罪者は、罪や病気やわざわいや悪霊や、神の知識に逆らってたつあらゆる物であることを知る必要があります。(2コリント10:5)そして私達の仕事はそれらの犯罪者を捜して見つけ出して、打ち壊すことです。私達はそれらの犯罪者を見過ごして、それらを大目にみてはびこらせることではありません。私達の仕事はただそれらを打ち壊して、真理を語ることです。
まず最初に私は祈り方を変えました。お願いすることから、命令することに変えました。それによって瞬く間に癒しの成功率が上がりました。マニュアルを学びつつ、私のしていたことを変えていきました。祈り方を変えた後に私は信じていることを変えました。何故なら、祈った時に得る結果は、私達がその時に信じていることだからです。もしゆっくりとした癒しを信じているなら、段階的な癒しが起きるでしょう。でも、瞬間的な癒しを信じるなら、瞬間的な癒しが起きるでしょう。
もう一つ私が変えたことは、私は他人の信仰を見ることを辞めました。イエスは時には他人の信仰を認めることもありましたが、決してそれに頼ることはしませんでした。他の人が信仰がない時はイエスは彼らの為に信仰を持ちました。
私がそのことについて学んだのは一人の松葉杖を引いた男の人がレイク氏のオフィスにやって来た話しからでした。ある日、レイク氏がオフィスに座っている時に松葉杖をついている男の人がやって来ました。彼はやって来て、言いました。「私は忠実なカトリックで、私の宗教の悪口は何も聞きたくありません。私は人にも、医者にも、(癒しの為に)神にも信仰はありません。私を助けるために何ができますか?」普通、このようなことを聞くと、大半のクリスチャンは言うでしょう。「私にできることは何もありません。あなたは癒されるためには自分の信仰を持つ必要があります。」それが一般的な教えです。でもレイク氏の教えは違いました。
レイク氏はそうは言いませんでした。レイク氏は笑って、椅子を机から後ろへ引いて、言いました。「大丈夫です。私は私達の2人の為に信仰があります。」そして立ち上がり、その男の隣へ行き、彼と話し始めました。この時の出来事を思い返して、彼は書き残しています。「私は彼のためには祈りませんでした。私はただいのちの御霊が私から彼へと流れ出て、彼のうちにある病気やわずらいを追い払わせました。」その男はレイク氏が、そっと松葉杖を取ってしまったことにも気が付きませんでした。レイク氏はその男としばらく世間話をした後、 「では、いい一日を。」 と言って握手をして別れました。その男は振り返って歩き去りました。彼は癒されて、松葉杖なしでも歩いていることにも気が付きませんでした。
その男が廊下を去っていくのを見て、彼を呼び、松葉杖を見せて、「これを忘れていませんか?」といいました。私はその男は言いました。「そんなもの地獄(hell)に落ちろ。」レイク氏は言いました。「私もそう思います。」彼はその松葉杖を置いて、癒されて帰りました。
実際、その「地獄」という言葉を使うことは、的確なことだと思います。なぜならそれは地獄から来たものだからです。病気やわずらいは神からのものではありません。病気やわずらいは私達の教訓の為に与えられるものではありません。私達をいい人にする為に与えられるものではありません。それらは私達を滅ぼす為のものです。
クリスチャンよりも大半の医者のほうが神の心に近い心を持っています。それは、彼らの仕事は病気やわずらいを根絶することだからです。大半のクリスチャンは病気を受け入れ、神は病気を使って私達の為になる何かを教えようとしていると考えます。病気による苦しみは私達を良くする事はありません。ただ病気やわずらいがそこにあるという証拠です。私達がプレッシャーを受ける時に、私達の内にあるものが表に出てきます。敵の攻撃にどれだけ我慢して苦しみ続けることができるかを見せることによって、指揮官に栄光をもたらす兵士などいません。兵士は敵を征服することによって指揮官に栄光を帰します。私達の仕事は敵を征服することです。神に病気やわずらいの下でどれだけ苦しみ続けることができるかを見せることではないのです。
私達の困難や苦しみは病気であるべきではありません。私達の経験する苦しみや困難は、福音を宣べ伝える事を選択する時に経験するものです。パウロはコリントの人達へこう言いました。「私は川の難、海上の難、偽兄弟の難、や盗賊の難に会いました。私は断食もしたし、むちでも打たれたし、殴られもしました。」と言いました。(2コリント11:25-27)彼が例に上げたこれらのすべてのことは使徒として、神からの務めを受けて福音を宣べ伝える者であることを証明するものでした。
パウロは、「私の新しい車を見てください。神が私をどれだけ祝福しているか見てください。私の新しい家を見てください。私の新しいジェットスキーを見てください。」とは言わないでしょう。私は、人々がこのように言うのを聞いたことがあります。「わたしは神が新しいジェットスキーを与えてくれることを信じます。」私は彼に言いました。「そうですね、そのためにイエスはあなたに信仰を与えました。あなたがそのジェットスキーを火の海でも使えることを願います。恐らくそのジェットスキーのための欲が導くところは火の海なので。」
私の休暇は神のことばを読むか病人を癒すことです。 「休暇には何をしますか?」とよく訊かれます。それが私の休暇です。私は休暇を取りません。何故だか知っていますか?それは病気やわずらいは休暇は取らないからです。大半のクリスチャンはクリスマスの時期に2週間休みを取り、いろいろ飾ったりなどして、楽しみます。しかしその2週間の間にも、癌は人々のからだを蝕み続けます。クリスマスの後に、元旦に戻ってくると、2週間不在の間に癌はその人のからだを蝕んでいるので、本当に神に対して真剣になる必要あります。でも、その病人はもう瀕死の状態です。
あなた方が理解するべきもう一つのことはこれは単なる癒しのセミナーではないことです。これは生きるか死ぬかについてです。人々の生と死は私達がこれから学ぶことによって左右されます。一度あなたが手を置いた人は、死ななくても済み、手を置かなかった人は死ぬということを本当に理解した時、自分の手を今までとは違った視点で見ると思います。そうしたら、もう油注ぎについて話すことはなくなり、むしろ神にこう言うでしょう。「神よ、あなたが私をもっと用いることができることを見せてください。私の邪魔をしている罪を見せてください。私がもっと早く競争を走ることができるために、その罪を見せてください。それらを取り除きます。今何が一番重要なのかを見せてください。」 (ヘブル人への手紙12:1)
今日の教会が持っている小細工は長くは持ちません。新しい流行が来ると、それらは廃れて、人々は新しい流行に移ります。その繰り返しです。多くの人がそのように考えます。多くの教会は新しい本や、流行を追い求めています。私はいつもそのような人々にこのように言います、「大半の教会は神の御霊ではなく、出版会社に導かれています。」何か新しい本が出てくると、教会はそれに飛び乗ります。でも、それが流行るのは次の流行がやって来るまでです。もしあなたが癒しをこのように考えているなら、時間を全く無駄にしています。何故なら癒しは生きるか、死ぬかについてだからです。癒しは新しい流行ではありません。何か聞こえのいいものではありません。癒しは手品のようなものではありません。癒しは指を鳴らすだけで起こるものでもありません。あなたが有名になるというためではありません。
癒しを行っていくことは、こういう事です。例えば、朝の2時や3時に電話がかかって、最初の10分はその人をなだめます。それは、彼らは泣き叫んでいるからです。彼らの赤ちゃんが突然死にかけているか、死んだからです。過去の10年間で、恐らく私の睡眠時間は合計30日以下です。私の電話は1週間四六時中鳴るようになっています。もし誰かが非常時の800番に電話をかけて、緊急時ボタンを押すと、私の電話にかかるようになっています。
それは私が決めたことでした。私の電話番号はいつも電話帳に載っています。私は集会に行って、誰かが、「私は墓を作らなければなりませんでした。それはあなたにコンタクトを取ることができなかったからです。」と言うのは聞きたくないと決心したからです。私はそのような経験がどのようなものかを知っています。それは私も同じような経験をしたからです。私はいつでも皆が私にコンタクトが取れるように決心しました。誰かが私のところに来た時には、私は隠れることはしません。誰かが私を急に連れて行くからと言って、私の油注ぎをいちいち増す努力をする必要なんかありません。油注ぎはそんなものではありません。実際には、同じ興味を持っている人達と一緒にいることにより、私は建て上げられます。神のことばを話せば話すほど、私は強くなります。私が彼らの周りにいて、彼らが私達に質問をすればするほど、私は強くなります。私はすり減りません。もしさびつくくらいなら、磨り減るほうを選びます。アーメン?
私はよく集会に座って、考えました。「主よ。もし私が彼と5分間話して、質問を2つすることができるなら、もっと早く成長することができるのに。」集会に座って、私は神に誓いを立てました。「神よ。もし私が、あのような人の立場に立つなら、誰でも私に質問できるようにします。」私はよく誰かのために祈ったり、誰かからの電話を取る為に出て行かなければいけないこともありますが、基本的にはいつもコンタクトが取れるようにしています。もし私と話したいなら、話せます。もしフェローシップをしたいなら、フェローシップを持つことはできます。フェローシップは楽しいです。私はいつも道を旅しているので、フェローシップの時間はほとんどありません。
今から、私の教えようとしていることは、恐らく、今まで聞いたことのある教えとは完全に違うものだと思います。でも、私達のしている癒しは現実です。私達のすることは、もし聖書に沿っているなら、いつも、どこでも働く必要があります。もしそうでないなら、それは福音ではありません。今アメリカのほとんどの教会で行っている癒しはインドでは働かないでしょう。今日の教会の癒しの教えでは、人々の過去の罪などを扱わないといけないと言います。どうやってこんな悪魔の教えが入り込んだんでしょうか?そのためには歴史を学ぶ必要があります。彼らは私達の世代ののろいの源を見つけようとします。
もし私達がクリスチャンなら、私達は世代ののろいには当てはまりません。私達には世代はありません。私達の世代はイエス・キリストだけです。すべてのクリスチャンが抱える問題は2つのことが原因です。彼らは新しい契約による特権を知らないか、彼らは新生の特権にあって歩んでいません。それだけです。すべての問題がそれらに起因します。私の地上の父親は酒飲みでした。私が小さい時には、彼は酒をよく飲んでいました。彼は警察官で、彼はさまざまなことを見てきました。なので酒を飲むようにもなりました。私は酒が人に何をするかを見てきたので、9歳の時に、アルコール飲料には触らないと誓いました。それ以来、一度も触ってません。一度もタバコを吸ったことはありません。ドラッグもしたこともありません。でもそれ以外の罪は犯したので、別に、いい子であったわけではないです。ただ、私は神に誓いを立てて、それを破ることはしませんでした。では、世代ののろいの教えによると、私だけが一人の子供なので、父親ののろいは私に継がれるはずです。でも酒を一度も飲みませんでした。私の世代はイエスだけです。そして、彼にはのろいなんてありません。彼は私が祝福を受取れるようになる為に、のろいになってくれました。(ガラテヤ3:13-14)私には世代の祝福があります。世代ののろいではありません。
インドに行ったら、世代ののろいを扱うことはできません。先ず第一に、インドに行く為には宣教師にならなければいけません。それで、5万人の群集に向かって話すことになります。彼らの世代ののろいを捜すなら、それはずっと昔にさかのぼるでしょう。彼らは偽りの神や偶像などに仕えてきました。もし私達が彼らのところへ行くなら、一人一人の過去を穿り出している時間なんてありません。私達はそのようなことするようには言われていません。パウロは、過去は忘れて、ひたむきに前に向かって走りなさい、と言いました。(ピリピ3:13-14)
私達の仕事は捕らわれ人を自由にすることであり、他人の欠点を指摘することではありません。私達は彼らをさばくものになることではなく、彼らを解放する者になることです。これは単純なことです。兵士になるだけです。兵士は誰を自由にして誰をしないかは選びません。彼らはこのようには言いません。「あなたは自由になれるけど、あなたはなれません。」誰も自由になる資格はありません。でも、イエス・キリストのおかげで、私達は自由になることができます。癒しとは、戦いです。すべてはこのことに戻ってきます。悪魔は打ち負かされました。今私達がする必要があることは、彼のしわざを見つけ出し、打ち壊すことです。彼らを追い出し、打ち負かすことです。そのためには何だってすべきです。
そのためには今私達は愚かな考えをすべて捨て去る必要があります。それはこの様な考えです。「聖書はそう言っていますが、いやでも、もし。。。」というようなものです。私が一番良く聞くことは「そうだけど、でも。。。」というようなことばです。「でも、…」は癒しでは考慮にいれません。
神の力を止めることができるものは何もありません。もし罪が神の力を止めることができるなら、私達は救われていません。何故なら、まだ私達が罪の中にあったときに、神は私達を救ったからです。私達は聖書については何も知りませんでした。おそらく、大半の人はヨハネの3章16節を使って、悪魔を打ち負かして、救われたと思います。
多くの人は、救われた後は、悪魔を打ち破る為には聖書に書いてあるすべてのことを知らなければいけないと考えます。ただの病の霊や、ある病気やわずらいを打ち負かす為に、神学を完璧に学ぶ必要があると考えます。私は言いますが、「私達に必要なことは、敵があきらめるまで、あきらめないという堅い決心です。」そのような根性を身につけたら、癒しは働きます。そのような根気で歩むなら、敵は私達がその場に着く前に、逃げ去ります。敵はそのような人と関わりたくありません。何故でしょうか?それは、彼らにはそのような時間は無いからです。敵にとっては、クリスチャンが、「この病気は私のとげです。私の背負うべき十字架です。」と言うような人のところへ行ったほうが楽だからです。いいえ、イエスがその十字架(病気)を担われました。私達の背負うべき十字架は人々です。もしミニストリーをしていくなら、私の言っていることが真実であると分かるはずです。私達の負うべき十字架は人々です。